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日本初の西洋式劇場は、1870年(明治3年)12月6日にオランダ人の ノールトフーク・ヘフトによって、本町通りに面した横浜居留地68番地 (谷戸橋北、現在のテレビ神奈川の裏あたり)に建てられた「ゲーテ座」です。 なお、ノールトフーク・ヘフトは、ドイツ人醸造技師エミール・ウィンガードを雇い、 山手68番(現在の雙葉学園の近辺)にビールの醸造所を造ります。そして同じ場所に 彼はベルヴュー・ガーデン(美しい眺望)というビアーガーデンを併設しました。 当時の68番からは横浜港の大桟橋が見え、反対側には丘の間に挟まれてはるか 向こうに本牧の海も見えたという事です。しかしビール醸造所の方は技術上の欠陥で 失敗し、このベルヴュー・ガーデンも閉鎖されました。 1872年(明治5年)11月にゲーテ座はパブリックホールと改称されて各種の催物に 利用されました。1885年(明治18年)4月18日に谷戸坂上の山手256〜257番地に 地下1階地上2階建でレンガ造、建坪890u、350人収容のホールが完成しました。 これがゲーテ座と呼ばれるようになるのは1908年(明治41年)12月からで、 音楽会・演劇・講演など各種の催物に利用されました。 本町通りに建設されたゲーテ座は、1909年(明治42年)10月21日に焼失し、 山手のゲーテ座も関東大震災で崩壊してしまいました。 ゲーテ座のゲーテという語は、英語のgaiety(派手・陽気・華美)に由来しています。 記念碑のある場所を地図で示します。 |