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日本の消防組織は平安時代に御所を守るために組織された「禁裏火消」に始まりました。 本格的な消防組織の始まりは、1643年(寛永20年)に、徳川幕府(三代将軍家光)が16の 大名家を指名して作った「大名火消」です。これは主に江戸城や大名屋敷を火災から 守るためのものでした。 1657年(明暦3年)に江戸では「明暦の大火」といわれる大火がありました。これを契機に 徳川幕府(四代将軍家綱)は、4人の旗本に命じて「定火消」という常設の消防組織 をつくりました。 「大名火消」も「定火消」も江戸城や大名屋敷とその周辺を守ることを目的としたもの でしたが、一般町家を守るために1718年(享保3年)に南町奉行大岡忠相が「町火消」を 組織しました。時代劇で有名な「いろは48組」のほかに本所・深川の16組があり、 江戸には64組の「町火消」ができました。 1867年(慶応3年)の大政奉還により明治の新政府が誕生し、「定火消」その他の武家火消は 廃止されました。「町火消」は残され1894年(明治27年)消防組規則の公布により消防組の 組織が全国統一されました。 横浜では、1859年(安政6年)開港と同時に8消防組が設置され、各組のまとい,組員,頭取り が決まりました。代官が指揮する民間消防隊です。当時の横浜は戸数101で人口は350人 だったそうです。また、1863年(文久3年)の火災を契機として、1864年(元治元年)に 居留地消防隊が組織されました。ポンプ車を備えた消防隊としては我が国初と言われて います。 その後、横浜では1914年(大正3年)に日本初の消防車、1933年(昭和8年)には日本初の 救急車が配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地といえます。 記念碑のある場所を地図で示します。 |
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| 横浜市中区・大桟橋通りと本町通りの交差点「大桟橋入口」から大桟橋通りに沿って 一ブロック横浜スタジアム寄りの右角、横浜情報文化センターの角に「消防・救急発祥之地」 の碑があります。 | 当時の防火貯水槽の跡です。 |