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西洋医学は、1549年(天文18年)にフランシスコ・ザビエル(Francis Xavier) と共に鹿児島に来船したポルトガル人ルイス・デ・アルメイダ(Luis de Almeida) により日本にもたらされました。 アルメイダは1557年(弘治3年)に現在の大分市に初の洋式病院を建てています。 しかし、本格的に西洋医学がもたらされたのは、 1823年(文政6年)ドイツ人フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト (Philipp Franz von Siebold)が長崎に来てからで、 西洋医学発祥の地は長崎ということになります。 これら西洋医学の中に歯科学もありましたが、本格的歯科学は アメリカ人ウィリアム・クラーク・イーストレーキ(William Clark Eastlake) によってもたらされました。 イーストレーキは1860(万延元年)年横浜に来日しました。 当時は居留地の外国人も少なく、香港,中国などに出張診療を行い、 横浜では夏季だけ診療を行っていました。 1868年(慶応4年)に横浜で満1年開業しましたが、その後も各国をまわり、 来浜3度目の1881年(明治14年)に横浜居留地160番地で開業し、 日本を最終の生活地としました。 このときをもって西洋歯科学の発祥としています。 イーストレーキの長男は英語教育の博士として1884年(明治17年)頃来日し、 福沢諭吉の保証で麹町一番地に住居を構えています。 一方、セント・ジョージ・エリオット博士は、横浜居留地57番で 歯科診療所を1870年(明治3年)より1874年(明治7年)まで開設し、 外国人の歯科診療に従事するかたわら、木戸孝允、新島襄、西郷従道を治療し 小幡英之助、佐治職を門下生とし指導しました。 同博士の帰国にあたり同診療所を引き継いだハラック・マーソン・パーキンス博士 は1881年(明治14年)秋、帰国まで診療のかたわら多くの日本人に西洋歯科医学の 指導をしました。 記念碑のある場所を地図で示します。 |